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小山の伝説

小山の伝説・小山百景は、小山市教育委員会文化振興課・小山の昔の写真は、栃木県メディアボランティアに帰属します。無断転載、再配信等は行わないで下さい。

人から人へ、親から子へと長い間語り伝えられてきた伝説、それは生の郷土の歴史であり、かけがえのない文化遺産といっても過信ではありません。
伝説には多少の脚色があっても、郷土に根ざした先人たちのすばらしい英知や心情には現代に生きる私たちの心をとらえてやまない、不思議な力が秘められているように思われます。

小山の伝説

お知らせおたけ坂(間々田)

 間々田の宿に、菱屋という旅籠屋がありました。娘のおたけは、とても気だてがよく、親孝行なので評判でした。そのうえ、顔だちも美しく、菱屋の看板娘でした。街道を通りなれた旅人たちのなかには、菱屋と言わずに「おたけ屋」と呼ぶ人もあるくらいでした。
 お店は繁盛しました。父と兄とおたけとの三人家族で、番頭兼料理番の佐平と、古くからいる女中のお留と、ほかに下男と女中との四人が働いていました。みんななかよく、朝から晩まで助けあって稼業にはげみましたから、毎日毎日が楽しい労働なのでした。おたけは、父や兄にも、女中さんたちにも、おなじようにやさしく親切でした。おたけは、菱屋のなかの明るい太陽であり、うるおいの花でありました。
 父と兄は、
 「そろそろ、あきらめてお嫁にやるとしようか。」
 「そうですね。おたけも、もう十九ですから。」
と相談しました。その時代には、十五〜十六がお嫁入りの適齢期でしたから、おたけは少しおくれているわけです。もっと手もとにおきたい気持ちは強くとも、そうもゆかない年頃でした。
 評判娘のおたけのことですから、たくさん縁談がありました。そのなかで、近所に住む顔ききが仲人に立った話がまとまりました。相手は、粟の宮の豪農の息子でした。父も兄も大喜びで、さっそく結納が取り交されました。
 「めでたいな。いい婿さんが決まったよ。」
 結納の品々を飾った床の間の前で、父が言いました。おたけは、びっくりしました。お嫁入りなどは、考えていなかったからです。うちの人たちと毎日たのしく暮らしているのがいちばん幸福、とばかり思っていたのです。
 「わたしは、いつまでもうちにいたいけれど、だめかしら。」
 「だめだね。もう結納がすんだのだから、おまえはあちらのひとで、ご祝儀までお父さんがあずかっているだけだ。」
 おたけは困りました。こんなとき、誰よりも頼りになるお母さんは、三年前の夏なくなって、おりませんでした。
 その晩、おたけは、母の位牌の前に、長い間座っていました。
 「お嬢さん、どうかなさいましたか。」
 女中のお留がそばにきて、心配そうに聞きました。おたけは、今日のことを話しました。お留の生まれは粟の宮でしたから、お婿さんをよく知っていました。
 「それはいけません。あのお人は、酒ぐせが悪くて、なまけものです。お金持ちの一人息子ですからねえ。」
 おたけは、深いため息をつきました。そのときから、おたけの顔に、暗いかげりが目立つようになりました。親が決めた結婚に従うのが、そのころの習慣でした。仲人があって取り決めた縁談ですから、いまさらやぶることはできません。嫁入りの日取りまでに、あと十日しかありませんでした。一日一日と、おたけの顔色は青ざめ、やせてきました。
 いよいよ明日が祝儀という前の日、おたけは、とうとう家を出る決心をしました。そのほかに、方法がなかったのです。ようすを知ったお留めが、心をくばって支度してくれました。お留めは、女のひとり旅を気づかって、ないしょで佐平に相談しました。 
 「私がおともいたします。お嬢さんのためなら、どんな苦労をしてでも、きっとおまもりしてみせます。」
 佐平がきっぱり言ったので、おたけも喜びました。佐平の伯母が上州の高崎にいたので、そこを頼ることになりました。
 夜がふけました。おたけと佐平は、裏口から忍び出ました。お留は、寝床に座って、手を合わせてお祈りしていました。ふと、足音がして、主人の姿が現れました。目がさめたひょうしに明日の用事を思い出して、それを言いに来たのでした。
 「おや、おたけはどうした?」
 お留と並べて敷いてあるおたけの空ふとんをみて、たずねました。
 「……」
 お留は、返事ができずに、目をつむりました。
 おたけと佐平とが家出をしたのがわかって、父と兄は急いであとを追いました。兄は出がけに、板の間の隅においてあった葉タバコの刻みの包丁を持って、飛び出していきました。おぼろ月の畑道をひた走りに、思川の渡しへ降りる板の手前で、早くもそれらしい人影を見つけました。
 「おーい、もどれーっ。」
 息せき切ってかけつけると、おたけと佐平は、坂道のサクラの根もとに居すくんでいます。父は、安心したのと呼吸が苦しいのとで、喘ぎながら二人を見つめるだけですが、兄のほうがどなり出しました。
 「佐平、きさまがおたけをそそのかして、つれ出そうとしたのだな。」
 佐平は答えません。おたけが進み出て、
 「いいえ、兄さん、みんなわたしがわるいのです。佐平さんは…」
 「言うな、おたけ。佐平さんなんぞは、消えて失せろ。」
 おたけが佐平をかばうのが、兄の怒りに油をそそいだようです。兄は包丁をふりかざして、佐平をにらみつけました。おたけはびっくりして、兄の腕に飛びつき、刃物をもぎ取ろうとしました。兄がおたけをふり放そうと腕を振ったとき、切先がおたけの首にささりました。おたけは悲鳴をあげて倒れました。
 それは、あっというまのできごとでした。父も佐平も、そばにいながら、止めにはいるひまもなかったのです。二人は驚いて、左右からかけよりました。兄は、意外な結果にただぼんやりと立ったままでした。もともと、二人をおどかそうとして持ち出したものでしたが、それが運悪く刃物だったために、刃物じたいが悪魔の爪のようにおたけの白い首すじにくいこんだのです。
 夜風が起こって、サクラの花が雪のように散りました。美しいおたけは、美しいままに死にました。
 かわいそうなおたけに同情した人々は、いつしか、そこを「おたけ坂」と呼ぶようになりました。文化年間(江戸時代の後期)のことだそうです。