本文へスキップ

小山の伝説

小山の伝説・小山百景は、小山市教育委員会文化振興課・小山の昔の写真は、栃木県メディアボランティアに帰属します。無断転載、再配信等は行わないで下さい。

人から人へ、親から子へと長い間語り伝えられてきた伝説、それは生の郷土の歴史であり、かけがえのない文化遺産といっても過信ではありません。
伝説には多少の脚色があっても、郷土に根ざした先人たちのすばらしい英知や心情には現代に生きる私たちの心をとらえてやまない、不思議な力が秘められているように思われます。

小山の伝説

お知らせ亀の子ぜき(初田)

 せきというのは、川水をせき止める水門である。その水門を開いて、必要なだけの水量を田圃に流し入れる。いわば、むかしの小さなダムである。
 下初田の亀の子ぜきは、ここで巴波川の支流与良川の流れを取り入れ、生駒・下河原田・小袋・井岡・鏡・中里・寒川・追間田などの水田をうるおすために設けられた。だいじな水源だったが、洪水でせきがこわれると、田畑は一面の泥海になって、作物がだめになってしまう。そのたびに、用水沿いの村々から人夫が出て、力を合わせて修築した。それが、ほとんど毎年のことで、できるだけがんじょうに作っても、水魔の威力にはとうていかなわないのだった。
 ある年の秋、また大水が出て、せき直しの人たちが集まった。老人も青年も、一様に顔色が悪かった。年々の水害で村々は貧しかったのである。朝から汗を流して働き、もう日が高かったから、だれにも疲労の色が濃かった。こんなに精魂こめて作り直しても、来年はまたせきが切れるだろう。口にこそ出さないが、だれしもそう思っているのだった。
 小休みになって、一同は土手に腰をおろした。下村から来た老人が、腰骨をたたきながら、まわりの人たちに言った。
 「まったく、困ったものだのう。こう毎年水が出たのでは、村々が干ぼしになってしまう。思い切って人柱でも立てるほかはあるまい。だれもなりてがなかったら、わしなぞは寄る年波だから、わしがなってやろうよ。」
 「おじいさんは、むちゃを言うぜ。おばあさんをどうする気だ。」
 うしろにいた若者が言った。老人はふり向いて、
 「それもそうだが…」
と、口をつぐんでしまった。しかし、それがきっかけになって、最後の頼みに人柱を立てよう、という意見が強まった。むろん、そんなむごいことは止したほうがよい、と反対する人もいた。だが、水との戦いに敗れ続け、神仏の加護にも見はなされた村人たちは、絶望の底から浮かび上がる一すじの綱として、人柱を立てるという考えを払いのけるわけにはゆかなかった。それは、しだいに、波紋のように広がって、総勢の大部分が、そうだそうだ、とうなずき会った。その日の指揮をとっていた村の名主が、それを聞きつけて、一同を呼び集めた。
 「もっともな意見だから、人柱を立てることにしよう。そこで、相談だが、だれを人身御供にしたらよいか、さっそく決めようではないか。」
 こんな場合、初めにそこへ通りかかった人を、むりやり人柱にしてしまうのが習わしだったが、ここは街道をはなれていたから、通行人はなかった。日暮れまで待っていても、犠牲者は現れそうにもない。みなが、顔を見合わせるばかりだった。太陽がかんかん照りつけ、木陰ひとつないところで、息苦しい沈黙が続いた。と、名主が、一同を見まわしながら、声を高くして言った。
 「人柱のことを言い出したのはだれだ?」
 「わしでございます。」
 老人が、あっさり名乗り出た。名主は、押しつけるように、
 「それでは、ほかに方法もないから、気の毒だが、お前さんになってもらおうか。」
 老人は無言で名主を見つめただけだが、まわりから、いっせいに反対の声が上がった。さっきの若者が大声でどなった。
 「人助けには、名主さまがいちばんだ。大明神にまつって、みんなでおがむことになるから、おれたちでは似合わないよ。」
 拍手が起こった。名主は、若者をにらみつけて、
 「わしだって、神さまには不向きだ。」
 みなが、どっと笑った。この名主は、欲がふかくて、容赦しないやりかたが多かったから、村人から憎まれていたのである。
 けっきょく、人柱になる希望者はいなかった。いろいろ議論のすえ、お昼の弁当をとどけに来るころだから、一番目の人を人身御供にすることになった。それは女や子供が多いからかわいそうだ、と反対するものもいた。
 「つべこべ言うのはやめろ。いいかげんにして、それに決めたらどうだ。」
 名主がきつく言ったので、みなはだまってしまった。それで相談は決まったことになり、人柱の穴が深く掘られた。
 ほどなく、昼になった。部落のほうから、人影が現れた。田圃道を急ぎ足にやって来る。大人ではなかった。弁当をかかえた少女だった。土手の人たちは、息をのんで見守った。少女は、田圃から土手へ上がって、小走りに近づいた。ふと、名主の顔色が変わった。それは、名主の娘のかめ子だったのだ。名主は、のびあがって、戻れ戻れと、手を振って合図をした。何も知らない娘は、父がおなかをすかして、早く来いと招いてるのだと思って、弁当を胸に抱いて走り出した。名主は、駆けよった娘を抱きしめて涙を流したが、もう、どうするわけにもゆかなかった。あわれな名主は、自分で取り決めたとおりに、自分の娘を人身御供の穴に入れるほかはなかったのである。
 その年から、このせきは破れることがなくなった、という。また名主は生まれ変わったように慈悲深くなり、村人たちを助けたので、人々は名主親子をうやまい、「亀の子ぜき」と名をつけて、いつまでもその恩を忘れないようにしたのだ、とも伝えられている。