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小山の伝説

小山の伝説・小山百景は、小山市教育委員会文化振興課・小山の昔の写真は、栃木県メディアボランティアに帰属します。無断転載、再配信等は行わないで下さい。

人から人へ、親から子へと長い間語り伝えられてきた伝説、それは生の郷土の歴史であり、かけがえのない文化遺産といっても過信ではありません。
伝説には多少の脚色があっても、郷土に根ざした先人たちのすばらしい英知や心情には現代に生きる私たちの心をとらえてやまない、不思議な力が秘められているように思われます。

小山の伝説

お知らせいずみ酒(泉崎)

 昨日からの雪が、今日もいちにち降り続いた。一面の銀世界になって、枯れ木も雪の花をつけたのを喜んでいるようだった。雪が深いせいか、人通りもなかった。黒い子犬が、道のはずれにポツンと一つの点のよう現れて、雪の上の散歩を楽しみながら、だんだん近づいてきた。道の両側に、飛び飛びに並んでいる貧しげな家々の窓に、ともしびがうすい光をかかげはじめた。静かな、雪の夕ぐれである。
 黒犬はどこかへ隠れてしまったか、その犬にみちびかれてきたように、人影が見えた。右側の家の戸をたたき、次には左の窓明かりをしたって道を横切る。みじめな姿をした乞食だった。杖にすがって歩くようすを見ると、年老いているばかりではなくて、遠いところからだどりついたものらしい。一軒、一軒と、おぼつかない足どりで、もの乞いをしている。疲れ果て、そして、飢えているのだ。
 しかし、あわれな乞食は、なかなか憩いにも食べ物にもありつけなかった。どこの家も、彼にめぐんではくれなかった。それもそのはず、この秋はひどい不作だったから、食料が払低していた。
 彼岸が過ぎたというのにこの大雪が降って、いよいよ悪い年になり、春から夏にかけてたいへんな飢饉が襲いそうだった。だれしも、暗い気持ちで、ほそぼそと飢えをしのいでいたのだった。
 「かわいそうな乞食でございます。歩き疲れて、おなかがペコペコでございます。どうぞ、何なりと、どなたかおめぐみくださいますように。」
 乞食は、道のまん中に立ちどまり、杖を支えに、空を仰いで、祈るように言った。息も絶え絶えな低い声だったが、それを聞きつけたものか、一軒の戸が開いた。
 「おいおい、おまえさん、そんなところで、上を向いてパクパクやっているのは、雪でも食べようというつもりかい。よっぽどおなかが空いているようだね。まあ、うちへ入ってお休み。」
 ひとりのおじいさんが出てきて、乞食の手をとり、家の中へ連れてきてやった。
 「やれやれ、どなたさまか知りませんが、きたない乞食めを、ありがたいことでございます。」
 乞食は、へたへたと板の間に座りこんで、おがむようなかっこうをした。おじいさんは、笑いながら言った。
 「あまりありがたがられては困るよ。わたしの家には、おまえさんにあげるようなものは、何もないからね。」
 ほんとうに、おじいさんの住まいはみすぼらしくて、見まわしても、破れた壁と黒くすすけた屋根裏があるだけだった。囲炉裏の火も、ちろちろと燃えているばかりで、春の雪といっても夜は寒かったから、温まるたしにもならなかった。
 「お気の毒だな。」おじいさんは困りきって、「こんなものではどうだろう。おまえさんが食べたがっていた雪のように白くはないがね。」
 炉のすみの土鍋に、粟粥が残っていた。ふたをとると、まだ湯気がたった。乞食は、おしいただいて、さもうまそうに黄色いお粥をありたけ食べた。
 「こんなおいしいものを、はじめていただきました。生き返ったような心地です。」
 「それはよかった。だが、それきりだよ。」
 親切なおじいさんは、すまながった。そして、いまいましそうに言葉を続けた。
 「こんな大雪の晩には、お酒の少しもあったら、何よりのごちそうになるのだがね。」
 乞食が座りなおして、たずねた。
 「あなたはお酒が好きですか?」
 「ああ、なくなったおばあさんの次には、酒が好きなのさ。」
 「それでは、お礼のしるしに、私がお酒を持って参りましょう。」
 「とんでもない。雪は深いし、夜だし、それに酒屋は遠いから、よしておくれ。」
 おじいさんがそう言うひまに、乞食は、さっきまでとは見違えるような元気さで出て行ってしまった。おじいさんはあっけにとられて、
 「酒を買うお金もあるまいに、どうするつもりだろう。」
 ところが、待つ間もなく、乞食は帰ってきた。ヒサゴにいっぱいの酒をかかえていた。
 「これはどうも、すまないことになったものだ。」
 おじいさんは、半年ぶりの酒を飲んだ。それはそれは、うまい酒だった。こんなよい酒を売る家はないはずなのに、どこから持ってきたのだろう。おじいさんがそう思ったとき、それに答えるように乞食が言った。
 「なさけ深いお方。この酒は、稲荷さまの沼のほとりの泉からくんできたのです。いつでも、いくらでも、おいしいお酒が飲めますよ。しかし、あなたひとりのお酒の泉ですから、だれにも知らせてはいけません。では、さようなら。」
 「おい、ちょっとお待ち。」
 おじいさんがそう言ったときには、ふしぎな乞食の姿は早くも家の外に出ていて、それきりどこかへ行ってしまった。
 あくる日、おじいさんは、稲荷さまの裏の泉から、つぼいっぱいの水をくんできた。
 「水よ、酒になれ。」
 おじいさんがそう願うまでもなく、それはすてきな美酒だった。おじいさんは、それから毎日、好きなお酒をたらふく飲んで暮らした。
 おじいさんは、やさしい心の持ち主だった。自分ひとりで飲んでいたのでは、近所の人たちがかわいそうだ、と思った。村の人たちに、まんべんなく分けてやることにした。飢えていた人々は、たいそう喜んだ。
 「遠慮はご無用。神さまのおめぐみだよ。」
 おじいさんそう言って、だれにでもくれた。それだから、国中はひどい飢饉だったが、この村だけは飢え死にするものもなく、平和な明け暮れが続いた。
 そうして、春が過ぎ、夏も過ぎて、秋のとり入れの日が近づいた。村人たちは、稲荷さまに集まって、豊年祝いをやった。この日も、おじいさんの酒は、いちばんのごちそうだった。人々は口々に言うのだった。
 「ありがたいお酒だよ。」
 「ほんとうに、おじいさんのおかげで、みんなが生きのびたのだよ。」
 「命の親のおじいさんだよ。」
 あまりほめそやされて、おじいさんは、うれしいよりも、はずかしい気持ちになった。そこで、とうとう、一部始終を話してしまった。
 「それ、そこの泉が酒の泉さ。」
 みんなが、争って泉の水をくんできた。だが、それはもはや酒ではなくて、ただの清水になっていた。人に話すと水になる、と言われたとおりのことが起こったのだった。残念がる人々を見まわしながら、おじいさんは言った。
 「皆の衆、わたしはくやしくもない。ひとりで死ぬまで飲んだとて、みんなと飲んだ十分の一も飲めやしまい。それに、今年はお米がどっさりとれたから、泉の酒がなくとも生きられる。」