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小山の伝説

小山の伝説・小山百景は、小山市教育委員会文化振興課・小山の昔の写真は、栃木県メディアボランティアに帰属します。無断転載、再配信等は行わないで下さい。

人から人へ、親から子へと長い間語り伝えられてきた伝説、それは生の郷土の歴史であり、かけがえのない文化遺産といっても過信ではありません。
伝説には多少の脚色があっても、郷土に根ざした先人たちのすばらしい英知や心情には現代に生きる私たちの心をとらえてやまない、不思議な力が秘められているように思われます。

小山の伝説

お知らせ一夜塚(土塔)

 八世紀初めのころ、役の行者というえらいお坊さんがいた。大和の国の葛木山にこもって修行をしたが、のちには、日本全国の名山・高峰にのぼって、山上に霊地をひらいた。
 あるとき、行者は、筑波山から二荒山へおもむくとちゅう、百々塚(いまの土塔)の民家に一泊した。その夜、勝軍地蔵が夢枕に立って、「この里は人家は少ないが、里人はみな信心ものばかりで、清らかな地である。この場にわれをまつれば、ながく火難・病難のわずらいをなくしてやろう。疑うなかれ。」と告げた。
 行者は喜んで、このことを里の人々に語った。行者のさしずで、塚を築いて勝軍地蔵をおまつりすることになった。女や子どもまで総出で手伝ったが、人手が足りなくて、いつできあがるものやら見当がつかなかった。
 行者の滞在は、十日間の予定だった。明日は出発という日になっても、塚はまだ半分もできていなかった。人々は行者の前に居並んで、塚が完成するまでとどまってもらいたい、と頼んだ。行者は、一同を見まわして言った。
 「それでも、行かずばなるまい。二荒の神様がわしを呼んでいなさる。夜明けに、ここで別かれのあいさつをすることにしよう。」
 その夕方から、行者は、塚の前に火をたいて、一心不乱にお祈りした。やがて、神火が消え、行者の白い姿が去り、夜の闇がいっさいをおおった。
あくる朝早く、里の人々は、行者を見送るために塚のところへ集まった。すると、どうだろう、一夜のうちに、塚は見事にできあがっていた。行者は、ふしぎな法力を置きみやげにして、人々の前にふたたび現れなかった。
 里人は「一夜塚」と名づけて、勝軍地蔵をまつった。のちに、役の行者が山城の国愛宕群鷹が峰に創建した愛宕権現の神霊をお迎えした。火を防ぐ神である。愛宕さまをまつったから、いつからか「愛宕塚」と呼ばれるようになった。愛宕権現が愛宕神社と改称されたのは、明治の初めである。
 役の行者は、本名を役の小角といって、役の優婆塞・神変大菩薩という別名をもっている。「神変」とあがめられるだけあって、ふしぎな術を行ない、空中を飛んで一日に数百里を行くことができるといわれた。鎌倉時代からは、修験道(いわゆる山伏の宗教)の開祖とされるようになった。