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小山の伝説

小山の伝説・小山百景は、小山市教育委員会文化振興課・小山の昔の写真は、栃木県メディアボランティアに帰属します。無断転載、再配信等は行わないで下さい。

人から人へ、親から子へと長い間語り伝えられてきた伝説、それは生の郷土の歴史であり、かけがえのない文化遺産といっても過信ではありません。
伝説には多少の脚色があっても、郷土に根ざした先人たちのすばらしい英知や心情には現代に生きる私たちの心をとらえてやまない、不思議な力が秘められているように思われます。

小山の伝説

お知らせ呪われたたなばた(小山)

 持政から七代目の小山政種は、小田原の北条氏の娘をめとった。北条氏は関東一帯を支配下におさめようとして、いく度か小山の祇園城を攻めたが成功せず、和睦することにして、息女を政種にとつがせたのだった。
やがて、豊臣秀吉が天下統一をはかり、北条氏に来降を求めたが、小田原城ではそれを拒んで防備をかためた。縁につながる政種も、家臣を引き連れて小田原城へ入った。秀吉の大軍は、城を囲んで長陣をしき、城中に食糧が尽きるのを待った。こうして、ついに北条氏は降参した。
政種は、小田原開場の前に脱出して小山城へ帰り、秀吉に許しを乞うた。しかし、秀吉は聞き入れず、部下に命じて祇園城を攻めさせた。その日は濃霧がたちこめて見通しがきかず、物見の家来が畑一面のモロコシを敵の槍の穂先と見誤り、大部隊が攻め寄せたということで、城士らがあわてふためいたために、ほとんど戦わずに陥落したという。なさけないことだと思うのは人情で、それからモロコシをつくる人がいなくなったといわれる。そして、ちょうど7月7日のたなばた祭の日に落城したものから、小山領内の人々はそれは悲しみの日として、色とりどりの願いの糸をかけてめおの星を祭る行事は、しだいに行われなくなった。